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「大正時代」ってどんな時代?

大正時代の服装を映したフィルム

大正時代は、明治と昭和に挟まれた、14年5か月の短い期間。
大正天皇が即位した1912年7月30日から1926年12月25日までを大正時代といいます。

この時代の世界情勢は、ロシアやドイツ、オーストリアなどで帝政が崩壊、民主主義的な思想が台頭するように。
日本でも「大正デモクラシー」「女性解放運動」などが発生しています。

1914年~1918年には第一次世界大戦が繰り広げられ「大戦景気」に沸いたものの、終戦で「戦後恐慌」に陥ります。
さらに、1923年には「関東大震災」の発生で長い不景気に。

しかし、第一次世界大戦中の景気の良い時代には、都市部で工業が発達し西洋風の生活様式や服装も取り入れられるようになりました。
食卓には、コロッケやオムレツなどの洋食が並びはじめ、新階層としてサラリーマンが登場し、彼らを中心に洋服を着る人も増加。

電話交換手などの「職業婦人」と呼ばれる働く女性も現れ、女性の社会進出に伴い、日本女性の洋服の割合も都会を中心に徐々に増えていったのです。

大正時代の服装の特徴

大正時代のモガ風な服装

大正時代は、短いけれどもいろいろな変化がもたらされた特色ある時代だったのですね。
では、大正時代の服装の特徴にはどのようなものがあるのでしょうか?

大正時代の服装の特徴をまとめると以下になります。

  1. モダンボーイ・モダンガール
  2. 大正ロマン
  3. アール・デコ
  4. 和洋折衷

特徴①:モダンボーイ・モダンガール

第一次世界大戦後の東京に現れた流行の先端をいく洋風の服装の男女をモダンボーイ・モダンガールと言います。
モダンボーイ・モダンガールとは、モダニズムの波に乗り、日本だけではなく1920年代に世界中で流行したライフスタイルのことで、モボ・モガと略して言うことも。

アメリカでは「フラッパー」、フランスでは「ギャルソン」と呼ばれています。
モダンガールは、クロッシェという帽子にショートドレスを着こなしパンプスを履き、口紅をつけてフラッパーのように断髪と呼ばれるボブカットが特徴。

谷崎俊一郎の「痴人の愛」のナオミは、典型的なモダンガールでしょう。
モダンボーイの特徴としては、山高帽にロイド眼鏡、仕立ての良いスーツ、ステッキ、革靴を履いた服装があげられます。

特徴②:大正ロマン

大正ロマンは、大正時代の雰囲気を漂わす独特の芸術や文化などを指します。
大正時代の女優、松井須磨子が歌った「命短し恋せよ乙女 (ゴンドラの唄)」は有名ですね。

また、大正ロマンと聞いて真っ先に思い浮かぶのが画家「竹久夢二」でしょう。
モダンとレトロが同居する独特のスタイルは今も女性たちを魅了してやみません。

この時代は、幾何学的なアールデコ模様などを取り入れた銘仙(めいせん)の着物に洋髪を合わせる服装が人気で、大正ロマンと言えばこの雰囲気を想像する人も多いのでは。

特徴③:アール・デコ

アール・デコ様式は、欧米を中心に1920年代に流行した装飾の傾向ですが、大正時代の服装にも多大な影響を与えています。
アール・デコは、直線や幾何学図形をモチーフにした原色の対比表現などが特徴ですが、この傾向がファッションにも影響しているんですね。

平坦で直線的なシルエットのローウエストのショートドレスは、モダンガールが好んで着ていた服装です。
この直線的なシルエットのショートドレスは、きついコルセットから女性を解放したんですよ。

特徴④:和洋折衷

大正時代の服装の特徴として、和洋折衷という点を忘れてはなりません。
大正時代の人たちの服装は、和装の着物がほとんどで、洋装の人はごく少数の限られた人だけでした。

そんな中、和装に少しずつ洋のアイテムを組み合わせる服装が流行ったのです。
女学生は着物に袴のスタイルの和装に、洋の編み上げ式の革のブーツを合わせていました。

また、カフェの女給さんや、華族の家の使用人の女性は和服に洋式のエプロンをつけていましたね。
男性は、着物の中に洋服のシャツを着ることも一般的になっていったのです。

【位別】大正時代の服装の特徴

大正時代の車夫の服装

大正時代の服装のおもだった特徴をいくつかご紹介しました。
では、立場や位別にはどうだったのでしょうか?

学生、華族、庶民に分けて服装の特徴をみていきましょう。

学生

女学生は、前述したように和装の着物に袴を履いていました。
矢絣(やがすり)模様の着物にえんじ色の袴、頭にはリボン、そして編み上げ式の革のブーツを履いてモダンな雰囲気をプラス

「はいからさんが通る」という大正時代を舞台にした漫画の主人公の「花村紅緒」のスタイルですね。
ドラマやアニメ、映画化もされている人気作品なのでご存知の方も多いでしょう。

また、制服としてセーラー服が制定される学校も出始め、セーラー服を着る女学生もいました。
男子学生は、着物に袴の人もいましたが、詰襟の学生服を着ていた人も。

華族

明治時代から昭和22年までは「華族(かぞく)」という特権階級の身分制度がありました。
江戸時代に公家や大名だった家や国に功績のあった人などが、華族という身分となり、家格に応じて、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵などの5等級の爵位を与えられたのですね。

大正時代の華族の男性は、肩にエボレット(モールで出来た肩章)をつけた燕尾服型の詰襟の洋服が礼服でした。
華族の女性は、和装も洋装もどちらもありだったのですが、和装の着物は絹のお召しや訪問着などの庶民には手の届かない高級品が多かったでしょう。

大正時代を舞台にしたNHKドラマ「花子とアン」にも登場する「柳原白蓮」も華族の令嬢でしたね。
華族の令嬢はパーティーなどの社交の場には洋装で出かけることもありましたが、その場合は酒場などで見かけるフラッパースタイルとは違う、品のある肌の露出の少ないデザインの服装でした。

庶民

大正時代の一般庶民の服装は、ほとんどが和装の着物です。
洋装という文化は、まだ一般庶民には広まっていません。

洋服を着ようにも、今のように既製服というものが売られていませんし、作りかたもわからず情報もなかったでしょう。
教師やサラリーマン、軍人などの一部の人や学生などを除いてはほとんどが着物で生活していたのです。
商家で働く人は着物に前掛け、工場労働者は菜っ葉服という青い作業着を着ていましたが帰宅すれば着物に着替えていました。

洋装が出来るのは都市の特権階級の一部の限られた人で、特に地方に住む庶民や農民は洋装を見たこともない人も多かったでしょう。
農民の多くは木綿や麻の筒袖の野良着と言う服装。

和装でも、絹ものの着物を着るのは冠婚葬祭の時くらいだったのです。

【男女別】大正時代の服装の特徴

大正時代のモガの服装の手本

大正時代の服装の特徴を位別にみてきました。
次に大正時代の服装の特徴を男女別に詳細にご紹介しましょう。

男性

最初に大正時代の男性の服装の特徴をみていきます。

①:ロイド眼鏡

ロイド眼鏡とは、アメリカの喜劇俳優のハロルド・ロイドがかけていたことから名付けられた丸い眼鏡のこと。
日本には、大正6年頃にアメリカから輸入され、ブームになりました。

最初は流行の先端であったモダンボーイたちが取り入れ、だんだんに広まっていったのです。

②:山高帽

山高帽は、フェルトハットやボーラーハットとも呼ばれ、イギリスが発祥。
こちらもモダンボーイの服装には欠かせないアイテムでした。

洋服にはもちろん、西洋風のスタイルを取り入れるために、和装の着物に合わせる男性もいましたよ。

③:トンビ

トンビは男性の和装用コートで、インバネスコートのこと。
トンビは、外套なんですが袖がないマントのようなものなので和装に合わせるのにもってこいでした。

着物にトンビの服装は、大正時代から昭和初期まで流行したんです。

④:書生スタイル

書生とは、富裕層の家に住み込みで雑用を手伝いながら学校に通う学生のことです。
スタンドカラーの白いシャツに着物を着て袴を履いた書生スタイル。

着物は絣や縞の木綿、角帯をしめて小倉袴に下駄というのが一般的な大正時代の書生の服装でした。

⑤:バンカラスタイル

バンカラスタイルは、男子学生が質実剛健さを表現するためにわざと学帽などを汚したり崩したりしたスタイルで、腰には手ぬぐい、高下駄やトンビを合わせる事も。

「弊衣破帽(へいいはぼう)」とも言われ、ぼろぼろの服装や帽子で身なりに気を遣わずむさくるしいことを良しとしていました。

⑥:四五式軍衣

四五式軍衣は、大正期に使用された軍服で、「はいからさんが通る」の「伊集院少尉」が着ていた軍服と言えばわかりやすいですね。
カーキ色に赤色がポイントの詰襟の軍服で、昭和の軍服とは異なります。

女性

続いて、大正時代の女性の服装の特徴をみていきましょう。

①:普段着物は木綿

大正時代の女性の普段着は、木綿の着物という服装がほとんど。
久留米絣(くるめがすり)などの絣や、秩父縞(ちちぶじま)などの丈夫で働きやすい木綿の着物を着ていたんです。

もちろんこれは庶民のお話で、華族の夫人や令嬢は柔らか物と呼ばれるちりめんや羽二重の絹の着物を着ていましたよ。
大正時代は、身分で服装も明確に違っていたんですね。

②:銘仙の着物

大正時代のおしゃれ着として流行ったのが銘仙の着物
銘仙は、平織の先染め絹織物なのですが、斬新なデザインでお手頃価格だったこともあり大流行しました。

銘仙は絹織物なのですが、羽二重やちりめんなどの柔らか物と比べると丈夫だったことも流行した理由でしょう。

③:長い丈の羽織

大正時代の女性の服装として、丈の長い羽織も欠かせません。
昭和の時代の羽織は帯が隠れるか隠れないかの短い丈なのですが、大正時代の羽織はひざ下まで来るような長い羽織でした。

羽織も、大胆な柄や色合いの銘仙で作られ、ちょっと考え付かないような柄×柄の組み合わせも普通だったんですよ。
ちなみに現代は、振袖に羽織は着ませんが、大正時代は振袖にも羽織を着たようです。

④:大正モダン

着物や羽織の銘仙の柄や帯の柄は大正モダンと呼ばれる様式でした。
幾何学的なアールデコの模様が大胆に取り入れられる斬新でモダンなデザインが女性たちをとりこにしたのです。

それまで和服の生地は古典柄や縞模様、格子などが中心だったのですから、自由で鮮やかなデザインに心奪われるのは当然でしょう。

⑤:夢二式

竹久夢二は大正ロマンを代表する画家ですね。
夢二の創作したものやそのスタイルは「夢二式」と呼ばれ、人気を博しました。

夢二の創作したグラフィックの柄や夢二の描く儚げな美人画の着こなしにみんなが憧れマネをしたのでしょう。

⑥:華宵好み

大正ロマンの画家では、高畠華宵も忘れてはなりません。
夢二と双極と言ってもいいでしょう。

高畠華宵は、着物デザイナーの顔も持ち、薔薇の花などをモチーフとした甘美で浪漫に溢れた柄を大正の世に送り出しました。
華宵の創作したものは「華宵好み」と称され、昭和初期の歌謡曲の歌詞にも登場したんですよ。

⑦:帯はお太鼓結び

大正時代の着物の帯はほとんどがお太鼓結び
そして帯は胸高にしめるのが流行だったんです。

現代でもカジュアルな着物の装いに使われている「名古屋帯」も大正時代に考案されたと言われています。
名古屋女学校の設立者の越原春子さんがお太鼓結びを簡略化して結べるように考えたとか。

丸帯や昼夜帯よりも帯生地が少なくてすむことも当時人気だった理由でしょう。

⑧:洋装は稀少

大正時代の服装で、洋装は本当に稀少でした。
東京の銀座でさえ、洋装の人は100人に一人の割合だったというから驚きですね。

電話交換手などの都会の職業婦人でさえ着物の人が多かったんですよ。
地方であれば、洋装の人はもっと少なかったことでしょう。

⑨:アッパッパ

アッパッパとは、夏の暑さをしのぐための木綿地の簡易なワンピースのこと。
関東大震災の後に清涼服として流行しました。

家庭で浴衣地を使用して簡単に作れることと、高温多湿な日本にぴったりだったことが大正時代の女性にも魅力的だったのでしょう。
アッパッパはその後もずっと女性に支持され、昭和や平成になってもホームウェアとして生き残りました。

⑩:女給スタイル

大正時代にはカフェーと呼ばれるお酒や料理を出すお店があり、そこで働く女性を女給と言います。
カフェーの女給さんは和服に白い洋風のエプロンを身に付けていました。

当時のカフェーの女給さんは、ウエイトレスでもありホステスさん的な仕事もしていたんです。

⑪:セーラー服

大正デモクラシーの中、女子教育の必要性が叫ばれ、和服は高価などの理由もあって洋装の制服が採用されました。
洋装は動きやすいことも大きな理由でしょう。

1920年代に京都の平安女学院がワンピース式のセーラー服、福岡の福岡女学院がセパレーツ式のセーラー服を制服として採用し、その後全国に波及しました。

⑫:ハイカラ

明治から大正時代にかけて、洋装したり洋風なものを取り入れたりする人のことを「ハイカラ」と呼んでいました。
明治時代に洋行帰りの人が高さのある衿「high collar(ハイカラー)」の服を身に付けていたことが由来だとか。

そこから、オシャレで時代の先端を行くことをハイカラと呼ぶようになったんですよ。
洋髪で着物を着るだけでもハイカラだと言われていたんです。

大正時代の服装がレンタルできる場所がある?

大正時代の服装をレンタルした人達

大正時代の服装、魅力的なものもたくさんあって、着てみたいと思った方もいるのでは?
さっそく、大正時代の服装がレンタル可能なところをご紹介しましょう。

以下、大正時代の服装がレンタルできるところを厳選して3つご紹介します!

①:大正村 浪漫亭

岐阜県恵那市の大正村の中にある「大正村 浪漫亭」。
「はいからさんが通る」みたいな矢絣の着物と袴をレンタルできて、大正時代にタイムスリップした感覚になれる「なりきりハイカラさんコース」があります。

大正むすめになって大正村を1日ゆっくり散策できるのでぜひ行ってみたいですね。
男性や子供用の着物もあり、貸衣装料金は大人の女性で2000円とお手頃!

髪飾りや日傘、ブーツのレンタルも料金に含まれていますよ。

②:着物レンタルモールhataori(ハタオリ)

「着物レンタルモールhataori」は、WEBで着物を選んで申し込むと宅急便で送られてくる仕組み
どこに住んでいても手軽にレンタル出来て便利ですね。

中でも、卒業式袴(アンティーク)のコーナーには大正ロマン漂う素敵なコーデがいっぱいあるんですよ!
WEBでじっくり選べるのもいいですね。

③:着物レンタルshop 心結

「着物レンタルshop心結」は、レトロな建物が多く残る素敵な街、金沢にあります。
アンティーク着物おでかけプラン」は」大正や昭和初期のアンティーク着物のレンタルに加え大正モダン風のヘアセット付き!

大正ガールになりきって、おしゃれなカフェでゆっくりと楽しい金沢時間を過ごしてみませんか?

大正時代の髪型やメイクの特徴とは?

大正時代の服装の撫子モチーフ

大正時代の服装がレンタルできるところをいくつかご紹介しました。
では、大正時代の髪型やメイクにはどのような特徴があったのでしょうか?

以下、男性の髪型、女性の髪型、メイクに分けてご紹介します。

男性の髪型

大正時代の男性の服装は和装が主でしたが、洋装でおしゃれに決める男性はポマードという整髪料で髪を整えていました。
国産初のポマードは、大正9年にアメリカから技師を呼んで「柳屋」が開発。

ぼさぼさの髪もポマードを塗って撫でつけ櫛目を入れれば、モダンボーイの髪型になったのですね。

女性の髪型

昔の日本では、女性は長い髪が基本で、出家でもしないかぎり髪を切ることはありませんでした。
大正時代でもその風習は続いていて、髪を切らなくても短いヘアスタイルに見える髪型の「耳隠し」という髪型が大流行したんです。

耳を隠すようにして髪を流すスタイルで、大正時代の女性たちはこの髪型を自分でやったり、美容院でやってもらったりして楽しんでいたんですよ。
モダンガールと呼ばれる進んだ女性たちは、髪を切ってボブカットにする人もいました。

メイク

大正時代の一般の庶民の女性は、普段はあまり化粧はしませんでした。
化粧をするのは、冠婚葬祭の時や、特別なお出かけの時くらい。

カフェーで働く女性や花街の女性は職業上化粧はしていました。
赤い口紅や頬紅、眉墨で細く眉を描き、鼻筋が通ったように見える白粉の付け方をしていたようです。

モダンガールの中には、舶来のアイシャドーを取り入れた先進的なメイクをしている人も。

大正時代のレトロでモダンな服装は今も人気

大正時代の服装のお手本の写真

大正時代の服装は、庶民や華族などの階級や貧富の差で違っていたようですね。
誰もが、自分がしたい服装を自由に出来る現代の社会とは大きく違っています。

そもそも身分で服装が違うなんて想像がつかない方も多いのでは?
昭和時代になり戦争が激しくなってくると、贅沢やおしゃれを楽しむことが禁じられたので、大正時代のモボ・モガのハイカラな服装は、今でも憧れる人が多いのでしょう。

明治時代や大正時代の服装はイラストでしか残っていないものも多いのですが、少ないながらも写真もあります。
それらを手掛かりに大正ロマン風なレプリカの着物も作られるなど、和洋折衷の大正時代のレトロでモダンな服装は、今なお人気のようですね。

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ライター
noel編集部

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