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結婚も出産も仕事も、「これをすれば幸せになれる」なんて当たり前はもうない時代。

今を生きる女性たちは、「何を選択すれば幸せになれるのか分からない」「私の選択が間違っていたらどうしよう」と、何度も立ち止まって悩んでいるのではないでしょうか。

そんな生きづらさを抱える女性たちに向けて、少しでも心を軽くする言葉を届けることはできないのか――。

そんな思いを胸に、元TBSアナウンサーで現在はエッセイストとして活躍、2児の母でもある小島慶子さんにお話を伺ってきました。

激動の人生を歩んできた女性の先輩として、今伝えられることとは。


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小島慶子 1995年TBSに入社後、アナウンサーとしてテレビ・ラジオに出演。1999年に第36回ギャラクシー賞DJパーソナリティー部門を受賞。2010年6月、TBSを退社しフリーに。2013年、テレビ制作会社勤務の夫が退職したのを機にオーストラリアに移住。現在はタレント、エッセイストとして活躍。

他人の目を内在化させてしまっていた20代

――20代から30代にかけて、TBSのアナウンサーとしてバリバリ働かれていた頃、悩んでいたことはありますか?

小島慶子(以下、小島) 「こうしなくちゃいけない」と思い込んで行動していました。例えばアナウンサー時代は、「売れっ子アナにならなきゃいけない」とか「好きな女子アナランキング上位にいかなきゃならない」など。

同期は女子アナとしてちやほやされて、アイドルアナに徹することができているように見えたのに、私はそれができなかった。彼女たちにできてなんで私にはできないんだろう、と悩みました。今思えばそれは私がやりたいことではなかったんですね。

人の目を気にして「これはクリアしなくちゃならない」と思い込んで苦しくなっていただけだったんです。

――自分の道をひた進んだように見える小島さんにも思い悩む時期があったのですね。

そんな時たまたま、25歳の終わりごろにラジオの仕事がきたんです。当時の私にとって、ラジオは華やかなテレビとちがって都落ちのように感じられました。

それでも上司に、ラジオ番組はあなたにきっと向いているし、財産になるからやってみなさいと言われて。信じてやってみたらすごく楽しめたんです。ラジオのプロデューサーも、「アナウンサーらしさとか女子らしさみたいなものは、忘れてもらっていい。26歳の小島さんが思うことを、立場とか気にせず言ってくれればそれでいいです」と何度も言ってくれて。

そこで女子アナの呪いがバラバラと解けて。最初は怖いなと思いつつも言われたとおり自由に喋っていたら、リスナーから「面白いですね」とか「もっと聞きたいです」と言われることが増えました。テレビでは「あの女子アナ生意気だ!」とか言われていたのにですよ(笑)。

ラジオの方が楽しいし向いているし、やりたいことはこっちだなと思い始めました。そこで「アイドルアナはやりたいんじゃなくて、クリアしなきゃいけないと思い込んでいただけだったんだ。だったら別にいいや」って急に楽になったんです。

――そもそも「こうしなくちゃいけない」と思い込んでいたのはなぜなのでしょうか。

小島 本当に単純に、人の目を気にしていたんです。自分の中に他者の目を内在化させて、自分の考えだと思いこんでしまうんですよね。

アナウンサーに内定すると、大学内で話題になるし注目されます。こんなに注目されちゃったんだから、アナウンサーにはなったけど売れなかったと言われるのはまずいんじゃないか、と思い込んでいました。でもそれってよく考えたら妄想上の他人の目なんですよね。

今の私だったら、自分の中にはいろんな他者の目が内在化していることに構造的に気がついているので、こうしなきゃって思ったときに「それは誰の目?」と考える習慣がついています。

その上で女子アナとして求められる役割を把握して、自分の手の内にある女子カードが戦術的に使えるのであれば、割り切って使うと思う。つまり、周りがジェンダー平等意識ゼロの男性ばかりで、女子ロールをやっておく方が話が早い時とか。そんな状況、決して望ましくはないけどね。

当時はそういう構造を客観視できていなかったために、苦しんでいたのだと思います。

仕事・家庭を両立したうえで幸せになろうと決めた理由

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――ラジオでもテレビでも活躍していた小島さんが結婚を決意されたのは、どんなタイミングだったのでしょうか。

小島 担当していたラジオ番組で「女性は結婚したら仕事を辞めるべきか続けるべきか」というテーマでリスナーと討論したことがあるんです。

当時33歳ぐらいの女性リスナーから電話がかかってきて「そりゃもちろん結婚して仕事も続けて子供も産んだら幸せだと思いますけど、身の回りで幸せになっている人が1人もいません!みんなすごい大変そうだし結局挫折して仕事辞めたりしています。誰かが幸せにやっているんだったら結婚しても仕事を続けるけど、今のところはそういう気になれないですね」って言われて。

じゃあもし私が結婚することがあったら、仕事続けて子供も産んで幸せそうに振る舞おう!そうすれば「この人生もありね」って思ってもらえるかも、と頼まれてもいないのに思ったんです(笑)。

もうひとつの理由はすごく単純。そのラジオ番組が放送業界で一番大きいギャラクシー賞を受賞して、みんなに褒められて、番組自体とても好調だったのだけど、飽きちゃったんです(笑)。毎晩2時間の生放送は体力的にもきついし、昼は昼でテレビの仕事があったからとにかく忙しくて。

26歳から同棲していた彼氏がいたので、もう結婚しちゃおうかなあって。結婚してプライベートで変化があったら、この飽き飽きした人生にも面白いことが起きるんじゃないかと思って、28歳のときに結婚しました。結婚式とか披露宴て、単純にイベントとして面白そうだったし(笑)。

――結婚しても人生ってそんなにガラっと変わらない気もします。

小島 元から同棲していたから生活自体は変わらないけど、私の場合すごく気が楽になりました。一応2人でも家庭は家庭なので、居場所ができた気になったんです。私はここにベースがあるから、仕事でたとえ受け入れてもらえなくても大丈夫、ちゃんと受け入れてくれる人が家にいる、って。

同棲だといつ浮気していなくなるか分からないけど、結婚すれば一応体裁も整うし、浮気のハードルもあがるじゃないですか。ある日突然ふられて1人になることはない、というのも安心感が増した理由のひとつですね。

子どもを産んだことがキャリアにもプラスになった

――現在2人のお子さんを育てられていますが、出産はずっと望まれていたんですか?

小島 実は子供、嫌いだったんです(笑)。うるさいしなんかよだれでベタベタしてそ〜〜って思って(笑)。ただ周りが子供を産むようになって、知らない人の子供は得体が知れないんですけど、友だちの子供はかわいいんですよね。

周りの友だちを見ているうちに「かわいいな」「なんか面白いな」って思うようになって。どこひっくり返して見てもちっちゃいのによくできていて、物体として興味がでてきたんです(笑)。

そうやって友だちが子供連れて遊びにくるうちに、私の夫が魔法の手の持ち主であることが発覚したんです。どんなに泣いている子供もすばやく泣き止ませることができる上に、異常に子供になつかれて。

そうやって子供をあやしている姿がさまになっていて、素直に美しいなと思ったんです。この人が子供を抱いている姿をみるのはいいものだなあ、って。そこで子供を産みたいと思い始めました。

――仕事への影響は心配しませんでしたか?

小島 心配はしていました。でも私の同期の女性アナウンサーが、先に結婚してすでに2人子供がいたんですけど、すごく幸せそうで。話したときに「前と同じ仕事はこないけどちがう仕事がくるようになったし、今すごく楽しいよ!」って言っていたんです。今やっている仕事に影響がでたとしても、他にも楽しい仕事はあるんだなって思えたので、不安はほとんどありませんでした。

――むしろ子供を産んだことでキャリアがプラスに変わったと。

小島 ちょうど私達より上の世代が、子供を産んでことごとくキャリアがマイナスになってしまった人たちだったんです。子供産むと仕事やめたり、部署異動したり。仕事を貫いて家庭を諦めた人は独りで寂しそうだし、「私は仕事に生きるために子供を諦めたの」って恨み言を言っていて、なんだか不幸そうだなと思っていました。

それを見ていて、同期の女性3人で「仕事も家庭も両方成立させたいね」ってよく話していたんです。仕事続けたいし結婚したいし子供も産みたい。上の世代みたいになりたくない、だから楽しそうに全部やろう、って話していたんです。

3人全員がそういう考えだったから、何の根拠もなかったんですけど、私たちの世代から仕事も家庭も両立させる考え方はメジャーになると思いこんでいました。するとたまたま時代とも合致してママアナという言葉が登場して、ママをしながらアナウンサーしているのが新しい、みたいな考え方がでてきて。

なので時代の流れと自分たちの考えがマッチしたのもあって、子供とキャリアは双方プラスに働いたと思います。

男女の二項対立なんて不毛

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――小島さんのように仕事も家庭も手に入れようとすると、女性はたくさんの壁にぶち当たる気がします。そんな時どんな知恵をつかえば良いのでしょうか。

小島 男性の当事者を巻き込むこと。働く女性はまだ多数派ではないので、ある程度のポジションについている女性はまだ少ないですよね。私の働いていた放送局でも、女性は結婚して子供を産んだら暇な職場に移るのが当たり前で、同じ環境で働き続けたいとなると、制度の見直しが必要でした。女性が働きやすい環境を整えるために、労働組合の副委員長をやっていろいろ訴えたんです。

でも女性のため、っていう少数派のための要求だとなかなか声が届かないんですよ。なるほどこの組織では女は人としてカウントされていないのね!じゃあ人としてカウントされている人たちを巻き込まないと偉い人の目には見えないんだわ!私たち透明人間だからな!って頭にきて(笑)。「働き方で困っていることありませんか?」って全社アンケートをとったんです。そしたら妻も自分も忙しくて子供の預け先に困っているとか、介護と仕事の両立に困っているとか、男性からたくさん働き方に悩む声があがってきました。

男性だっていつ昨日と同じように働けなくなるかは分からないですよね。そういう男性たちを巻き込みつつ、「育児休暇を1年半とれるようにしてほしい」とか「看護休暇を半日単位でとれるようにしてほしい」といった新しい制度を提案したら、やっと会社が動いてくれたんです。

――男性を巻き込むことは、当時も今も変わらず必要なんですね。

小島 結局働き方改革とか家族の問題って、男女の二項対立になると不毛なんです。「女は出産したら仕事をやめろ」とか「男は育休とっちゃだめ」みたいな考え方に困っている人は、男女どちらにもいるわけですよね。これは男対女ではなく、今までどおりが当たり前じゃないと感じる人と、今までどおりやりたい人の対立なわけです。そこは男女で分けることは意味がない。共働き夫婦が抱える課題は、ほぼ同じなんですから。

――母親は常に子供のそばにいた方がいい、みたいな神話も世間でもあります。

小島 「母乳を出す」とか女性にしかできないこともあるけど、母親が常にそばにいなきゃ、は幻想だと思います。たとえばうちの場合はそもそも保育園育ちだし、今は私より夫の方が子供達と長く一緒に過ごしているし、包容力があります。なので子どもたちも、父親を「ありのままを抱きしめてくれる存在」、私は「怒ると怖いけど言ってることに説得力のある存在」として認識している。そう考えるともしかしたら息子たちはいわゆる母性的なものは、夫から受け取っているんじゃないかな。

母性も父性も誰の中にもあるものだし、子どもを大事に思っていることがちゃんと伝わっているなら、母親じゃなきゃ!ってなんでも気負いすぎなくていいのでは。

人生は行き当たりばったりでしか生きられない

小島慶子さん

――TBSを辞めてフリーになったり、旦那さんの退職を機に大黒柱になったり、オーストラリアに移住されたり。人が歩む人生とちがう人生を選択されてきたと思いますが、今振り返ってどう感じますか?

小島 人って、小説を読むように人生を振り返ることはできるけど、小説を書くように生きることはできないんですよね。

――名言生まれましたね……!

小島 でしょ?(笑)でもこの言葉どおり、本当に今までの人生すべて行き当たりばったりです。強気に見られるけど実は競争がとっても苦手。アナウンサーはすごく競争社会だったので、結果として逃げ場のあるラジオや、誰もやりたがらない宣伝番組など、なるべく競争のないところを選んでやってきました。

そうやってブルーオーシャンで頑張っていたら、打ち出の小槌みたいに大きな仕事が舞い込んできたり、競争相手がいないからちょっとうまくいくと注目されて評価されたりしたんです。

――競争を避けた結果、上手くいったと。

小島 ひとつ法則みたいなことを上げれば、「これをやっとけば得になるかな」みたいな損得ではなく「得にはならないかもしれないけど、楽しそうだからやろう」と楽しい方を選んできたことは確かです。私の場合は、競争は楽しくないし、幸せになれないから。でもラジオも労働組合も楽しかったからやれていました。

労働組合なんてアナウンサーの仕事には何もプラスにならないし面倒だし、ダサいから組合の役員なんて辞めなよって言われたこともあるけど、「育児休暇が1年半になって本当に助かりました!」って社内の人から感謝されたりすると、数百万人が観る番組に出るのと同じくらいやりがいを感じたんです。

会社員時代は組合活動は特に仕事につながるような利点はありませんでしたが、今私の飯のタネになっているのは、労働組合での経験。あの頃ずーっと考えていたことが、今の問題意識につながっています。ワークライフバランスとか、女性の働き方とか、育児との両立とか、これぜーんぶ、今の時代の問題ですよね。執筆時も労働組合の話を出すことがあるし、インタビューでもよく伝えています。

なので損得ではなく楽しんでやっていたことは後で必ず役に立ったり、思わぬところでつながったりするんです。それはひとつ若い皆さんにお伝えできることかもしれません。

――「楽しいかどうか」で選択してゆけば良いのでしょうか。

小島 そうですね、「それをやっている自分がハッピーかどうか」ですね。生理的にハッピーとかでもいいんです。理由は分からないけど無性にこれが楽しいな、心地いいな、ということがまずひとつ。あとは「もう一度このチャンスがくるのか?」を考えて、「もう二度とこんなチャンスに恵まれないかもしれないから、やっとこう!」と考えてみるといいと思います。

――損得を考えずに選択するのは、とても勇気が必要ですよね。未来の自分が後悔していたらどうしよう、と不安になってしまいます。

小島 「未来の自分は恩知らず」というのが私の座右の銘のひとつなんです。

20代のときは、私もさんざん30代40代の自分を心配していました。今右にいった方が30代の自分の年収は高いんじゃないか、左にいったら30代の自分は自分を恨んでいるんじゃないか。そうやってさんざん未来の自分を心配していたんだけど、30代のときに私気がついたんです。

望んだ結果にならなくても、あれだけ過去の私が悩んであげたのに、未来の私は「結果、これで良かったわ〜」ってすました顔で言いやがるんですよ!(笑)超恩知らずなんです、未来の自分って。だから心配する必要はありません。未来の自分は必ず「でも結果これで良かった」と言うので。

だから20代のときにやりたいことをやって、あのときいろんな選択があって悩んだし、正しかったかどうかは分からないけど、やりたいようにやれて良かったなって言えればそれでいいんです。未来より今を大事にしてください。

――今の時代を生き抜く女性に、こういう考え方を身に着けたらいい、というアドバイスはありますか?

小島 あまり「女としての幸せ」みたいな考え方はしないこと。女としてどうであるか、みたいな視点でものごとをみてしまうと、視野が狭まってしまいます。

「女」って、すごく漠然としていますよね。「女」という言葉が誰によってどのように規定されていて、その規定のされ方は何を目的としているのか。それを考えると、そこでいわれている「女」と自分が感じている「女」は別にイコールでなくてもいいと気づくはずです。

みんな別々の身体を生きているから、私が体験的に知っている女とあなたが体験的に知っている女はきっとちがいます。みんな、サンプル数1なんですよ。ただ勝手に、女として共通する何かがあると思いこんでいるだけ。

だから女としてどうかじゃなくて、自分はどうしたいかを考えて。それは別に男っぽくふるまえということではなくて、「私の知っている女は私だけ」と思っておけばいいんです。自分が幸せだったらそれが女の幸せだし、自分が綺麗だと思えばそれが綺麗な女。それでいいと思います。

女の数だけ、女があるのですから。


女性として、アナウンサーとして、妻として、母として。

さまざまな局面で悩みながら歩みを進めてきた小島さんの言葉には、強さと温かさがありました。

未来の自分を案じ、不安になってしまう私たちも、もうちょっと肩の力を抜いて、心の声に正直に生きてもいいのかも。

そうやって優しく背中を押され、力強く励まされた気がします。

どのキャリアを選ぶ?この人と結婚する?子供を産む?
人生の局面で悩んだとき、思い出したいのは「未来の自分は恩知らず。だから大丈夫だよ」という、小島さんの言葉かもしれません。

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ライター
まこと

慶應義塾大学経済学部卒。美容メディアにてコンテンツ制作を経験後独立し、現在は多数メディアにて執筆中。恋愛・結婚についてよく語る東京ノマド女子。

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